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日瓢礦業のあゆみ

NIPPYOU KOUGYOU SINCE 1960

日瓢礦業のあゆみ

当時の新聞報道
1960 昭和35年に、東京の瓢産業株式会社(当社の親会社である現在の株式会社瓢屋)が自動車用鋳物けい砂の需要増に伴い、関東地方に供給する目的として、埼玉大学鉱山学部の地質学者関陽太郎に、関東地方においての今後のけい砂の需要を見据えて、関東地方のけい砂の調査を依頼、その後の調査の結果昭和35年、12月末、入粟野横根山(1387.25m)の中腹、蛇塚大小屋、横根の沢に日本ではまれに見る良質けい砂の大鉱脈を発見する。
鉱物の品位は SiO2:96%以上 であり、鉱量・品位ともに北関東随一の折紙がつけられ、そのニュースは当時の新聞の一面記事に報道された。当時の小さな粟野町においては、極めて大きな明るいニュースとして町民の注目の的となった。
1961 瓢産業株式会社では、けい石採掘による工業化が有望なところから、昭和36年12月、栃木県鹿沼市(旧上都賀郡粟野町)口粟野において鋳物砂の供給地として人造珪砂を生産するため、瓢産業株式会社 と株式会社瓢屋 と日立金属株式会社の出資金を含め資本金3,000万円で日瓢鉱業株式会社が誕生した。
日瓢礦業株式会社の誘致には、町も県も随分と協力的であり、粟野町誘致企業第1号として、町民から脚光を浴びた。企業の誘致に当たっては、地元雇用を積極的に行うことを条件として推進してきた。
 
林道工事
1962 日瓢礦業株式会社が、粟野町へ工業誘致企業第1号で進出入粟野 横根橋より日瓢鉱山までの2.9kmの林道を栃木県と日瓢砿業(株)との共同出資で完成。
また、 鉱山道の建設と切羽の剥土作業が行われたが、同年8月にトラクターショベルが購入され、更に各作業の進展が図られた。しかし、蛇塚、横根、大小屋の各切羽とも、けい石鉱山特有の急勾配であり、やむなく傾斜面採掘法により採掘が開始された。当時は手持ちの削岩機を使用しての傾斜面での採掘であり、作業は困難を極めた。

 
工場完成
1963 9月 工場完成
1967  大割ジョークラッシャー導入
細割クラッシャー導入
ビンダースクリーン導入
ソニクリーン導入
1972~1975 日瓢鉱山南鉱床の地質調査をした。結果は、珪岩は石英再結晶の程度(石英粒子の粒度)不純物の混入度、頁岩、砂岩の挟みの程度採掘の難易性、破砕の難易性など、あらゆる点で中部地方、関東地方、東北地方の各地に分布する同じタイプの珪岩鉱床の最も優れたものの一つである結果となった。
1974 遠心破砕機自社開発設置
1978 7月 南鉱床開発開始
 
1979 3月基幹林道から切羽への道路は自社で取り付けた。採掘は頂部よりレベルダウン(階段掘り)で行い、クローラードリルやその他の重機を使用して開削は進んで行った。表面付近の原石は、横根鉱床や蛇塚鉱床に対し比較的柔らかい品質であったが、レベルダウンするに従い比重が高くなり硬い石質となってきた。
 
剥離機導入
 
1987 岩岳において、丸紅(株)資源調査部んいより地質調査が行われた。
南鉱床
1989 南鉱床ベンチカット法による掘削開始
1990 日瓢鉱山無災害60万時間記録達成
     
ビンダースクリーン更新
1991  ケージミル導入
エアーセパレーター導入
  
1992 日瓢鉱山24年間無災害記録達成 
栃木県石灰石鉱山保安環境研究会より表彰
1993 ソニクリーン更新
エアーセパレーター更新
1995 日瓢鉱山27年間無災害記録達成
栃木県石灰石鉱山保安環境研究会より表彰
トラックスケール設置
1996 増野ローテックス導入
1997 新製品 PSS製造出荷
1998 日瓢鉱山30年間無災害記録達成  
   
自動計量器導入(フレコン詰)
1999 関東東北鉱山保安監督部長より「鉱山保安優良鉱山」表彰
2002  プロトマンガノ鉄直閃石を発見
日瓢鉱山のマンガン鉱石中の鉱物がプロトマンガノ鉄直閃石であることを国際鉱物学会で公表された。極めて高い希少性を有しており、世界の新鉱物であることが認定された。国内の地質学者が鉱山を訪れ、地質や岩盤の調査、サンプリング等を行った。
   
 
2004 36年間無災害記録達成
栃木県石灰石鉱山保安環境研究会より表彰
コーンクラッシャー導入
バイブロスクリーン導入
火薬類優良事業所 受賞
2005 大割ジョークラッシャー交換
日瓢鉱山 火薬類優良事業所 栃木県知事賞受賞
現場改善賞 受賞
現場改善賞受賞
テーマ 
「顧客の要求にマッチしたけい砂の生産性向上」
新日瓢鉱山 開鑿起工式
2011  新日瓢鉱山(岩岳)開鑿起工式
2013  新日瓢鉱山「採掘始め祭並びに初荷発送式」
 
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